3.出島・新地中華街地区の案内

  • 出島・新地中華街地区の地理
  • 出島・新地中華街地区の交通
  • 名所案内
  • 3.1.出島・新地中華街地区の地理

    [ 出島・新地中華街地区の地
理 ]出島









    出島・新地中華街地区 の見どころは、 出島、中華街、銅座歓楽街、高島秋帆宅跡などです。 異国の香りが潮風 にのって流入したここ新地、この地区には和洋中がミックスした独自の 食文化が存在 しています。


    3.2.出島・新地地区の交通

    出島・新地地区への移動方法は、 JR長崎駅から路面電車、バス、タクシー 、などとさまざまです。そして、徒歩で十分楽しみながら観光が出来ます。 行動は、なるべく軽装で運動靴 などがよいでしょう。


    3.3.名所案内


    3.3.1.出島(オランダ商館跡・出島資料館)

    出島

    長崎開港430年間一貫して対外 貿易港として繁栄してきた港は、世界 的にははなはだ稀といわれる。もともと長崎はポルトガル人のために開いた特 異な町であった。そして、1634年ポルトガル 商人を隔離するために、長崎港内に 一孤島を造ることにした。 『出島』は 鎖国日本の窓であり、西欧の文物はこの窓を通してのみ我が 国に伝わった。


    3.3.2.新地中華街

    中華街

    ☆もともと1702年海中を埋め立て小島を『 新地』といった。そこへ荷物蔵、銅蔵、米蔵その他を落成した。ここに安政開国 の後、中国人居留地となり福州人、障州人、泉州人が多く住まった。 現在の新地は中華料理 店街、明るく華やいだ雰囲気のビルデイングの町である。



    3.3.3.思案橋・銅座歓楽街

    マップ 思案橋 思案橋 銅座

    ☆『銅座跡』、大正時代、長崎を訪 れる文人墨客は、『銅座の氷見さん』 の世話をことごとく受けた。菊池寛、芥川龍之介、久米正雄や竹久夢二などの多くの画家 達である。現在も九州を代表する歓楽街 である。

    3.3.4.館内町・唐人屋敷跡

    ☆『 唐人屋敷 』は、1689 年 長崎奉行 所が、唐人による 密貿易を 防止するため、旧薬草園に造成、出島の例にならって、 大門と 二ノ門が あって、唐館 20 棟 には、約 5,000人を 収容した 。 現在は、赤レンガ の 土神堂(市指定史跡)・福建会館・ 天后堂・観音堂 だけ が、残っている 。

    館内 館内


    3.3.5.丸山

    ☆その昔から丸山町、寄合町は 遊女町として全国的に有名であった。 その一角にある料亭『花月』 は、いまも趣が深い。 江戸の吉原、京は島原、そして長崎の丸山は・・・丸山遊女の特色は阿蘭陀人、 唐人に接したことである。 丸山遊女の恋は一万三千里、 国際的な恋であった。

    3.3.6.高島秋帆宅跡(国指定史跡)

    高島 高島2













    高島秋帆は、遠西の大勢と西方の 東侵とを洞察して、一身一家を犠牲にして洋兵術を納め西洋流砲術の採用を長崎奉行を通じて幕府に訴えた。  とき、1839年清国では『阿片戦争』・・・オランダ船の入港によって伝えら れた広東におけるイギリスと清国の争いは我が国にとっても一大事であった。



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