☆都心部 の見ど
ころは、JR長崎駅 附近、
諏訪神社 附近、観光通り周辺にまたがっています。
☆都心部の移動方法は、JR長崎駅か
ら路面電車、バス、タクシー、などと
さまざまです。そして、徒歩で十分楽しみながら観光が出来ます。行動は、なるべく
軽装で運動靴などがよいでしょう。
☆終点『JR長崎駅』は、エキゾチッ
クな三角屋根のステンドグラスが 旅人を楽しませてくれました。・・・が、
現在
☆豊臣秀吉の禁教令により1597年に 殉教した 26人のキリシタンのための 殉教記念碑です。併設の日本26聖人記念館には、長崎のキリスト教関係の貴重 な資料が多数展示されています。
☆本蓮寺:かってはキリシタンが多く
住んでいた場所で、病院や教会があった。境内には、キリシタン弾圧の際に多
くの信者達が投げ込まれたという南蛮幽霊井戸
が今も残っている。
☆福済寺:巨大な亀に乗った大きな 観音像は 男性的な平和祈念像に対して女性的優 美さ、原爆犠牲者の冥福と平和を祈っています。 ( 国宝は、原爆で全 焼 )
☆ 長崎奉行立山役所 が あった場所にあり、 歴史博物館 と 奉行所が 一緒になった 文化施設 。ここは、長崎を舞台にした 我が国の歴史文化を、近代科学 の 案内機器 により楽しく理解させてくれる 素敵な 文化施設 である 。さまざまな 催しものがおこなわれている 。
☆諏訪三所大明神といい、中央に
諏訪大明神、右側に森崎大権現、そして左側に住吉大明神を祭っている。
1634年 長崎奉行は、諏訪神事に関して触れを出し、9月の7日と9日という大祭
の日取りを取り決めた。これがくんち(9日)
の始まり、いらい 367年間 連綿と神事は続いている。この
『長崎くんち』を
『日本三大祭りの一つ』などという。
☆シーボルト宅跡地に隣接して 立つ記念館。
☆1823年 出島のオランダ商館医として渡来した日本近代医学の父である シーボルト邸宅跡には、彼の妻となったおタキさんの花オタクサ(あじさい)が咲き乱れ、すぐそばには シーボルト記念館があります。彼は、 出島と鳴滝塾で日本の研究と日本人に対する医学教育を行った。近くには 長崎街道出発点があります。
☆我が国唐風石橋のはじまりで、 のち その影響は全国へ広まった。俗に眼鏡橋と呼ばれたが、正式には、明治 20年、国学者諏訪神社宮司坂本秋郷 が『眼鏡 橋』とした。(石造二連アーチ橋)
☆崇福寺:長崎の唐寺崇福寺のこと を『福州寺』ともいう。福州出身者の菩提寺である。長崎の華僑の人たちは、 福州の人が多い。1629年に建てられ、山門は絵で見る竜宮城の楼門にそっくり、 国指定の重要文化財である。
☆興福寺:通称『赤寺』と呼ばれ、1620年、明の僧真円によって建立さ れ、境内には、旧唐人屋敷門や日本三代聖堂 の一つ 長崎聖堂の大成殿、文学門 などがある。